
前から言ってたニュースがとうとう出たね……。美浦の佐山です。
もちろん、今日の話題は“武士沢友治騎手の引退”だ。今週末の騎乗を最後に、競馬学校の教官になることが公式に発表された。

逆光の写真でスマヌ、ブッシー
2月は別れの時期ということで、ムチを置いて新たな道へ転身したジョッキー達の話題はCHECKMATEでも随所に展開してきたが、ブッシーに関しては異例のタイミングでの引退。これは本人の謙虚さが表れている部分で「自分はひっそりとした引退でイイ」ということだろう。
ただ、事務的な処理のためにJRAからの公式発表は避けられない中、今日になって彼の引退を知った人間は多いはず。実際、競馬メディアに携わる人間のほとんどが驚いていたからな。
けれども、CHECKMATEを普段からご覧の方なら、騎手情報担当の加藤記者が2週間ほど前に【ワンコイン馬券】のコーナーで密かに予告していたんだよな。本人に迷惑がかからないように実名にはしなかったけどね。

そして、先週末のオレの記事でもこんな内容を書かせてもらっていた。一般には入手できない話を、CHECKMATEはいち早く聞いているということは改めてお伝えしておきたい。
さて、本題だ。今日は皆様にブッシーの凄さについて、そして競馬界に欠かせなかった存在について一筆執らせていただきたい。
キャリアを振り返ると、一時はトウショウナイトやマルターズアポジーとのコンビで存在感を示した場面もあったが、最後の重賞勝利は2017年。近年は一時の“穴男”っぷりもさほど見られることなく、勝利数は年間1ケタの状態が続いていたからな。
年度 | 着別度数 |
---|---|
2015年 | 13-17-26-434 |
2016年 | 10-10-18-404 |
2017年 | 4-10-13-326 |
2018年 | 8-13-14-394 |
2019年 | 9-15-11-324 |
2020年 | 7-4-7-326 |
2021年 | 8-14-10-308 |
2022年 | 2-10-19-218 |
2023年 | 3-5-5-170 |
2024年 | 2-1-0-34 |
生涯通算 | 340-453-557-10,263 |
1997年3月デビューから、約27年のキャリアで中央での勝利数は340勝(※先週時点)。ルメールや川田なら2年分だな……。年間平均にすると12~13勝ってところか。
ただ、騎乗数が全くないジョッキーではなかった。
そして、現場では彼のことを悪く言う人間を見たことがないというほどの人格者だった。
彼が重宝された一番の理由……それは『競馬は、勝てる人間・勝てる馬だけで回っているわけではない』からだ。

こんな華やかな場面
だけではないのが競馬
当たり前だけど、1日で3場・計36レースあれば、勝てる馬は36頭だけ(※同着除く)。その他の数百頭は負けるんだ。
加えて、すべての馬が良い状態で出てくるわけでもない。気性が悪い馬、歩様が怪しい馬、体質が弱い馬、状態面がどうしても整い切らない馬……色々なケースがある。
実際、そういう不安を抱えているせいで、トップジョッキーが乗ってくれない馬ってのは多いんだよ。スポーツ紙や専門紙では「○○(騎手)に断られました」なんて談話は載らないけどな。
※これ、断る側が必ずしも悪いってことではないぞ。レース中に余計なリスクを負いたくない乗り手側の気持ちも分かるからな。もちろん、不相応な立場で断るヤツはどうかと思うが。
ブッシーの凄さは、そういう『不安を抱えている馬』『大半なら断るような馬』でも、嫌な顔ひとつせず騎乗を快諾し、文句のひとつも言わずにレースで乗り続けてきたことだ。
騎手たるもの、良い馬に乗りたいのは当然だろう。けれども、それが叶うのはほんの一握り。
ただし、それ以外の大勢が存在することで競馬は成立している。ブッシーは競馬界において欠かせない存在だったことは間違いないんだ。
馬主関係者の中では「武士沢くんは最後の“駆け込み寺”なんだ。どんな馬でも出走手当を持って帰ってきてくれるのがどれだけありがたいことか」という声を何度も聞いたよ。
そういう過程を見てきているからこそ、ブッシーは良い教官になるんじゃないかと思うぜ。
超一流の判断力とか、馬をガッツリ追わせる腕力とかでは他に劣ったかもしれないが、どんな馬にも対応してゴールまで走らせてきたノウハウと真面目な人格は、教える側になった時に大いに生きるはずだ。
彼の教え子がターフに出てくるのは数年先のことになるだろうが、その時に「武士沢教官のおかげで騎手になれました!」という子たちが出てくる日を、オレは今から首を長くして待っている。
そして何より、今週末の騎乗を無事に終えてくれることを願うばかり。
その中で最後の最後に、良い馬券をもたらしてくれると尚ヨシ。会員の皆様も、ぜひ最後の雄姿を見守ってくれい!

佐山
栗東から美浦へ…ライバル陣営の情報は任せろ
ビッグボス堀江を師と仰ぎ、かつては同じく記者として栗東で活動していたベテラン。栗東を出たことのない根っから地元民だったが、ある時に関東情報の収集のため美浦に派遣されたことをキッカケに、今では『ライバル陣営』にあたる関東圏の勝負情報を一手に引き受けるリーダー的存在となった。
本人曰く『向こうの水が合っていた』とのことだが、実際は“遊び”の環境が揃う関東圏の生活が楽しくて仕方がないらしい。しかし、仕事には一途であり、その“遊び”も含めて関係者からの本音を引き出す技術は一級品である。